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국립김해박물관


GIMHAE NATIONAL MUSEUM

コレクション

名品選

01 尖頭器
尖頭器

木などの柄につけて使用した旧石器時代の狩猟具です。小さな矢尻のように下部に茎(なかご)があります。基部には石片の両面に加工を施した両面調整の痕跡が残っています。

02 黒曜石製の石鏃
黒曜石製の石鏃

黒曜石は「黒色に輝く石」という意味を持つガラス質の火山岩です。噴出した溶岩が地表において急激に冷やされることで生じる岩石です。黒曜石は鋭く割れることから、主に矢尻などを作る際に用いられました。新石器時代から南海岸や東北韓地方で多く発見され、原産地は主に白頭山や日本の九州地方です。

03 石棒と石皿
石棒と石皿

木の実や穀物を磨り潰す目的で使用されたと考えられる原始的な石臼です。皿型の石皿と棒型の石棒で1組とされます。新石器時代から使用され、青銅器時代に農耕が本格化すると穀物の加工にも使用されました。以後、臼がその機能を代替します。

04 隆起文土器
隆起文土器

隆起文土器とは、土器の表面に粘土の帯を貼り付けたり土器の表面を指でつまんで文様付けした土器です。新石器時代の土器の文様は土器の強度を高める役割をしており、文様帯は口縁部・胴部・底部に区分してそれぞれ異なる文様が施されました。文様の種類は爪形文・三角文・虹文・鋸歯文・格子文・魚骨文など様々で、文様の構成も複雑なものから単純なものへと変化・消滅する様相を見せます。

05 足輪
足輪

統営・烟台島貝塚の7号墳の人骨から発見されました。被葬者は身長約160㎝の男性です。左足に32点、右足に40点、右足元から48点が出土しました。この足輪はイルカ・カワウソ・タヌキなどの歯で作られています。

06 半月形石刀(石包丁)
半月形石刀(石包丁)

青銅器時代を代表する収穫具で、最も典型的な形態は半月形です。長方形や三角形の石刀(石包丁)もあります。中央にあけられた2つの孔に紐を通してそこから手を入れて石刀(石包丁)を握り、稲などの穂を摘みました。

07 磨製石剣
磨製石剣

韓国の支石墓や石棺墓で多く確認される磨製石剣は儀礼用の道具であり武器でもあります。石剣は、剣身と柄がある「有柄式」と木柄に差し込んで使用する「有茎式」に区別されます。柄に対して剣身が小さいものは再加工されたものです。柄頭と剣先部分が横に広がったものは装飾性が強調されたもので、副葬品として特別に製作されたものと思われます。

08 丹塗磨研土器(紅陶)
丹塗磨研土器(紅陶)

丹塗磨研土器(紅陶)は、土器の表面にベンガラ(酸化鉄)を塗って焼き上げた赤い色の土器です。儀礼などの特殊な目的で使用されていたと見られ、その殆どは墓で確認されますが家の跡地からも出土しています。日用品として使用されていたのは平底鉢・壷・皿などであり、副葬品として使用されていたのは丸底壷が大部分です。

09 青銅鏡
青銅鏡

古代の鏡は単に顔を映す用途ではなく支配者の権威を表わす品物だったことから、支配者層の墳墓から多く出土します。青銅鏡の裏面には様々な文様や文字が装飾され、彫られた文様や文字は青銅鏡の製作年代・交流関係・思想など、当時の情報を多く含んでいます。

10 韓国式銅剣(青銅剣)
韓国式銅剣(青銅剣)

青銅剣は、出土地の地名から「遼寧式銅剣」と「韓国式銅剣」に区別されます。この青銅剣は韓国式銅剣で、全体的に細いことから「細形銅剣」と呼ばれます。韓国銅剣の最大の特徴は中国や北方地域の銅剣とは異なり、剣身と柄が別々のつくりで組み立て式になっている点です。

11 水晶の首飾り
水晶の首飾り

玉類が貴重品とされていた三韓と加耶の遺跡からは、様々な種類のガラスや水晶が確認されています。水晶はとても硬いため、原石を削って丸形や多角形に成形するのがそう容易くありません。金海良洞里で確認されたこの水晶の首飾りは、現在まで確認された水晶の中で最も大きくて美しいものです。

12 馬形帯鉤
馬形帯鉤

帯鉤とは、革や布でつくった腰巻の留め金具(バックル)です。動物の胸部から横に突き出している鉤の部分を反対側の帯の端に留めて締める仕組みになっています。馬形の他に虎形の帯鉤もあり、このように動物で表現されているものは中国や北方地域で多く確認されます。

13 鉄鋌
鉄鋌

鉄鋌とは薄い鉄板で、斧や槍などの鉄製品を作る際に用いられる材料です。長方形の形をしており、中央部分に向かうにつれて括れた形状になっているものもあります。鉄鋌は大きさ・形・重さが様々であるため、貨幣として使用されたりもしました。加耶の支配者層の墳墓に鉄鋌が10枚綴りで埋められていたことから、加耶の人々は十進法を知っていたものと思われます。

14 龍・鳳凰装飾付大刀(環頭大刀)
龍・鳳凰装飾付大刀(環頭大刀)

刀の最大利点は、切れの良さと丈夫さです。時には柄や鞘を装飾することで、所有者の身分や権威を象徴する道具として考えられました。環頭の内側に装飾がない一般的な素環頭大刀とは異なり、この大刀の環頭の内側には龍や鳳凰が装飾されて上から金が塗布されていることから、所有者の地位や権威をよく示しています。

15 有刺利器
有刺利器

有刺利器という名称は、細長い鉄板の縁が棘形の刃になっていることに由来します。下部には木柄を差し込むための穴が開いており、馬に乗った敵軍を転ばせるための武器としても考えられています。棘形ではなく装飾性が強調された鳥形の有刺利器は、特定の支配層が使用していたものと思われます。

16 金銅冠
金銅冠

釜山福泉洞11号墓から出土した金銅冠です。冠帯の端に波と点の文様が施されており、立飾は三本に分かれていて瓔珞を施すことで装飾性が加えられています。加耶の金銅冠は新羅の豪華な金冠とは異なり、シンプルな樹枝形です。新羅の金冠装飾である「山」字形の初期形態のように見え、金鋲で冠帯と立飾を固定する製作技法が類似してします。しかし、新羅のように金冠はなく、金銅冠のみが存在します。

17 家形土器
家形土器

4世紀半ばに該当する昌原石洞遺跡で確認されました。高さ17.6㎝、奥行き(側面)12㎝、家の形態は切妻造になっており、正面二間、側面二間の9つの柱がある高床住居です。正面には出入り口と思われる戸口が表現されています。屋根の中央には液体を入れる注入口が、戸口がある前面には注出口があることから、液体を入れたり注いだりする用途で使用されました。容量は約350mlです。

18 人・馬形土偶と明器
人・馬形土偶と明器

金海鳳凰洞の低湿地から人と馬を模った土偶と明器が20点余り発見されました。人間の顔や腰巻きをした女性が簡潔に表現されていたり、馬の性器が極端に大きく表現されたりしています。その殆どが実際の遺物よりも小さく作られており、主に川や海辺で執り行われた祭祀や儀礼に関わる遺跡から発見されています。

19 サルポ(鏟形鉄製品)
サルポ(鏟形鉄製品)

サルポとは、水田に水を引き入れる水路を作ったり、草取りをする際に使用していた農具です。木柄を着装して使用するため、ヘッド(装着部)は袋状になっています。中国や日本では滅多に見られない韓国特有の農具です。支配層の墳墓に副葬品として埋葬されており、これは当時の稲作が被葬者の支配下にあったという象徴的な意味が含まれています。三国時代の腰巻きの装飾にも見られ、朝鮮時代には官職に就いた人々に国王が下賜したりもしました。

20 壷

咸安末伊山34号墳の石槨墓から出土した壷で、まるで白磁壷のようです。壷の表面全体を道具で叩いた痕が残っています。一般的な加耶土器よりも厚くて大きく、重い作りになっています。34号墳は5世紀後半に築造されたものと推定され、5つの龕室が置かれている独特な構造の墳墓で、5~6人の殉葬者がいたものと思われます。

21 「二得知」と刻まれた土器
「二得知」と刻まれた土器

山清下村里遺跡の住居跡から発見された典型的な大伽耶の土器です。底部の内側に「二得知」という文字が刻まれています。古代の記録によると、「得」や「知」は主に人名に使用されていました。例えば、「知」で終わる名前を持つ加耶人物に加羅国王の「荷知」がおり、中国南済から「輔国将軍本国王」という官爵が与えられたという記録が残っています。

22 土偶付器台
土偶付器台

福泉洞の石槨墓から出土した器台と壷です。器台には上部へと向かう1匹の亀がいます。亀の甲羅には一般的な六角形文様ではなく、細い線で細密に文様が描かれています。このような筒形器台は、墳墓の内部だけでなく封土や周溝(墳墓の外側をめぐる溝)からも確認されていることから、祭祀と関連するものであると思われます。

23 高杯
高杯

高杯は、脚部の文様や透孔の形など、地域ごとにそれぞれの特徴が見られます。この土器は、咸安地域の阿羅伽耶で流行した火焔形の透孔になっています。咸安地域では4世紀代に筒形高杯が、5世紀代に火焔形透孔高杯が流行しました。

24 車輪形土器
車輪形土器

高杯の脚部に角杯をのせて両側に車輪を付けた土器は、阿羅伽耶地域で多く製作されたものです。祭祀などの特別な行事に使用された器で、舟形土器とともに死者の霊魂を無事にあの世に送るという心遣いの意味合いが込められているものと解釈されています。

25 兜

数枚の薄い縦長の鉄板を繋ぎ合わせて作った兜です。頭頂部には鉢を伏せたようなものが置かれていますが、これを「蒙古鉢形冑」といいます。兜の左右には「𩊱(しころ)」と呼ばれる保護具が付けられています。

26 鎧

鎧は縦長の鉄板を釘で繋げて作ります。現在は錆びていますが、元々は丈夫な鉄だったため飛んでくる矢から身体を防護することが出来ました。鉄板の上から漆を塗ったり、鳥の羽を装飾したりもしました。首の後ろの部分には、尾と尾を合わせてそれぞれ反対方向を見つめる2羽の鳥が施されています。

27 馬胄
馬胄

甲冑は戦馬にも使用されました。馬用の兜を「馬胄」と言います。馬胄は、馬の顔を覆う「面覆部」、頭の上に立てた「庇部」、顔の横にくる「頬当部」の三つの部分から成っています。面覆部と頬当部は革ひもで結び、その他は釘を利用して繋げられました。

28 舟形土器
Boat-Shaped Pottery

加耶地域で確認された最初の舟形土器で、金海市進永邑余来里の木槨墓から出土しました。全長22.5㎝、幅10.5㎝、高さ4.5㎝からなり、板を上から重ね付けした形状になっています。舟の左右にはそれぞれ2つの入子があり、舟の堰に該当する舟梁が船首にのみあります。馬山県洞遺跡の舟形土器、金海鳳凰洞遺跡の加耶舟の破片などとともに、加耶における海上交易の責任を担っていた舟の構造を研究するにあたってとても重要な資料となっています。

29 銅鍑
銅鍑

このような形の銅鍑は、北方草原地帯の遊牧民が多く使用していた器です。中国では西周時代末から六朝時代まで使用され、韓国では平壌の楽浪遺跡、金海大成洞と良洞里の加耶遺跡から出土しました。銅鍑の胴部は細長く、把手が薄い作りになっています。この銅鍑の中には栗が3点入っていました。

30 銅鼎
銅鼎

紀元前1世紀~紀元後1世紀頃の中国黄河流域で作られた銅鼎です。後代に加耶に伝えられ、紀元後3世紀に該当するこの木槨墓に埋葬されたものと推測されます。重さ約2.3kg、容積1.98ℓ(1升=1.8ℓ)で、現在の大きいサイズのコーラ1本よりも多くの量が入ります。鍑の下部と脚部1本には補修跡が見られます。日用品というよりは祭祀などの儀式や物品の体積を測るための器として使用されたものと思われます。また、篆書体で刻まれた「西口宮鼎容一斗并重十七斤七両七」の14文字が確認できます。