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국립김해박물관
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加耶の香りが漂う国立金海博物館
055)320-6800
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巨済島、大きな波を渡る
日付
2016-12-06 ~ 2017-03-05
場所
主管
巨済島、大きな波を渡る
韓国で二番目に大きな島、巨済島
周囲およそ40キロメートルにもおよぶ複雑に入り組んだ海岸線が美しい巨済島。遠くから眺めると韓服を着た女性がチマ(スカート)を折り込んで慎ましく座っている姿と似ていることから、新羅・文武王(在位661~681)の時代には、チマという意味を持つ装の字を取って、装郡と呼ばれていました。
しかし巨済島は、高麗時代から朝鮮王朝末期までのおよそ800年間、罪を犯し都を追われた異邦人の監獄として疎まれていました。国王や王族、中央官僚の流刑地だったものの、当時の知識人から本土の思想や精神そして文化を学ぶ機会を得ることとなり、相対的に後れを取っていた巨済島の学問と文化の発展につながりました。
また、対馬がうっすら見えるという地理的条件により、対日海上交易における要衝地であった反面、海賊や倭寇による侵攻が頻発していた海上防衛の最前線の地でもありました。
日本による植民地支配からの独立後、巨済島は1950年に勃発した朝鮮戦争における捕虜の収容地という悲劇の現場でもありました。しかし今、世界の造船海洋強国としての神話を作る国家的な産業発展の前哨基地として生まれ変わり、巨加大橋の開通によって新しいアイデンティティーを創造しています。
哀憐の情に染まることも
感情に振り回されることもなく
雨と風に削られるままに
……
夢を見ても口ずさむことなく
たとえ二つに砕けても
静かに佇む岩にならん
巨済島にゆかりのある詩人・青馬(1908~1967)の詩のように、歴史の浮き沈みのなかで限りなく弱く痛ましい現実を背負うこともありましたが、巨済島は何事もなかったかのように島特有のアイデンティティーを育みながら文化の深みを増しています。
国立金海博物館は、この冬、幻想的で美しい自然のように特別な巨済島の歴史の世界へ皆さまを招待いたします。
国立金海博物館長 任鶴鍾(イム・ハクチョン)
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"巨済島、大きな波を渡る"
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